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大関和の看護とは?ーー大関和の写真紹介

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 <参考文献> 藤原宰江「『実地看護法』と大関和」『岡山県立短期大学紀要』 33 巻 2 号 111 ~ 123 頁 ( 1990 ) (1) 大関和『看護婦派出心得』第1版、明治32年6月発行(東京市神田区錦町3丁目2番) ⇒ 東京都千代田区神田錦町3丁目2番付近(現:神田錦町3丁目22番周辺) 大関和『看護婦派出心得』第2版、明治35年3月発行(東京市神田区錦町3丁目2番) ⇒ 東京都千代田区神田錦町3丁目2番付近(現:神田錦町3丁目22番周辺) 看護婦の心得 ①「夫れ看護婦たらんとする者は、先つ普通の看護学を修むるを要す」(第1版、1頁) ②「精神に於ては仁慈、敬愛、温和、忍耐、謙遜にして、挙動、静粛、品行、方正、言語を慎み」(第1版、1頁) (2)大関和『看護婦派出心得』第3版、明治39年12月発行(東京市神田区錦町3丁目1番) ⇒ 東京都千代田区神田錦町3丁目1番付近(現:神田錦町3丁目22番周辺) ①徳大寺侯爵御病床日誌写し(明治37年1月) ②派出看護婦の実態 (3) 大関和『看護婦派出心得』第4版、明治44年12月発行(東京市神田区表猿楽町19番地) ⇒ 東京都千代田区神田錦町3丁目2番付近(現:神田錦町3丁目22番周辺) ①日記記載例〈59頁) ②「教えの庭の会」〈81-83頁〉 ③東京府令71号 (4) 大関和『看護婦派出心得』第5版、大正6年8月発行(東京市麹町区飯田町5丁目5番地。看護婦会も同一住所) ①看護婦規則施行細則〈83頁) ②看護婦試験願(99頁) (5) 大関和『看護婦派出心得』第6版、大正8年11月発行(東京市麹町区飯田町5丁目5番地。看護婦会も同一住所) ①看護婦規則施行細則〈99頁) 大関和の語録 ①「看病婦は人命保護の大任」 ②「患者の安全を計り其順序を正うし患者のために絶へす注意して自己の本分を尽すを以て第一の義務」 ③「不品行 , 不親切な者ある時は , 直に廃業致さねばなりません」 ④「実に人命の重き事は地球の重きが如く貴重なるもの」 ⑤「其人命を預り霊肉共に看病する看病婦の責任のいかに重きかを顧みて其本文を全ふせねばなりません」 ⑥「患者に与ふる心身の平和は快癒を促す第一の看病法」「如何程熟練すると雖ども医師の範囲に入るる事はロをかたく禁ぜねばなりません」 ⑦「医師の命に よりて職を務むるものでありますれ...

「大関和と実地看護法」を読む

 谷津三雄・今田謙二・村木春長・武藤優子著「大関和と実地看護法」『日本歯科医学史会』第8巻第1号、26号、昭和55年、15~22頁 要約 『実地看護法』の内容分析(看護技術・倫理) 論文は本書の内容を医師の視点から評価している。 1. 看護婦の資格・倫理 看護は「慈善の大事業」 温和・忍耐・清潔・注意・言行の規範 医師への絶対的尊敬 病家の秘密保持 → 近代看護倫理の原型 が明確。 2. 看護技術の具体性 皮下注射法の詳細な手技 口腔清潔の重要性 吃逆(しゃっくり)への処置(呼吸法・ビール) 急救法(火傷・溺水など) → 当時の看護技術の標準化を示す。 3. 大関自身の病歴 関節リウマチ+心臓弁膜症 那須温泉での静養中に本書を執筆 → 本書は「再生の記録」としての性格を持つ。 4. 派出看護婦心得との関係 明治32年刊『派出看護婦心得』を巻末に再録 → 大関の看護思想の連続性を示す

日本の検温計thermometerの歴史

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 体温計は英語でthermometer (1)古代 1. Ancient Origins (~300 BCE – 1st century AD) Early scientists in Greece and Alexandria discovered thermal expansion —the idea that air or water changes volume when heated. Philo of Byzantium (~300 BCE) described an air‑based device where heated air pushed water in a tube. Hero of Alexandria (1st century AD) built similar pneumatic devices reacting to sunlight and heat. These were not true thermometers because they had no scale and could not measure specific temperatures. 2. The First Thermoscopes (1500s–1600s) The Renaissance revived interest in measuring nature scientifically. Galileo Galilei (1593) is often credited with creating a thermoscope —a tube where water moved with temperature changes. It showed change but had no numerical scale . Santorio Santorio (1612) added the first scale , creating a primitive medical thermometer. These devices were still inaccurate because they were affected by air pressure as well as temperature. 3. True Thermom...

GHQが設立した東京看護教育模範学院(Tokyo Demonstration School of Nursing)入学願書もしくはそのプラン

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“the application form, or the plan for establishing, the Tokyo Demonstration School of Nursing established by GHQ”   GHQが設立した 東京看護教育模範学院(Tokyo Demonstration School of Nursing) は、 聖路加女子専門学校と日本赤十字女子専門学校を統合して 1946年6月1日に開校した GHQ直轄の「モデル看護学校」 である。作業仮説であるが、本写真は入学願書もしくはその原案である 重要なのは、GHQ公衆衛生福祉局(PHW) 初代看護課長 Grace Elizabeth Alt(グレース・エリザベス・オルト)少佐  の考え方を知る英文史料であるが、多くの方々には興味をお持ちではないだろう。たとえ 1945年10月2日の GHQ 看護課設置時から、1946年の看護制度審議会発足期まで 日本および朝鮮半島(1945年8月15日から1950年朝鮮戦争勃発時まで)両地域の 看護行政はオルト少佐がコントロールしていたとしても。彼女が起案した史料の解読結果は後日を期したい。 なお、資料群には個人情報も含まれているので、ここでは割愛する。合否を決定した判断基準なども含まれているので、Alt少佐の看護観および日本看護学の在り方をいかに検察したいと考えていた設計図を知るに必要な知識を提供する。

江戸時代の四大眼科医

  江戸時代の四大眼科医 ①尾張馬島流眼科・ ②諏訪の竹内流眼科・ ③筑前の原田流眼科 ④江戸の土生玄碩

保助看法第五条」、保健師助産師看護師法(昭和23年法律第203号)第5条の第1項を指し、“看護師の法的定義(業務範囲)

  主な問題点は、以下の3点に集約されます。 1. 「診療の補助」の範囲が不明確 最大の論点は、「どこまでが看護師の業務(診療の補助)であり、どこからが医師の独占業務であるか」という境界線が法律上明確に定まっていないことです。 • 包括的な表現: 「診療の補助」という表現は非常に広範であり、採血や点滴から、高度な医療機器の操作まで含まれます。 • 個別規定の不足: 厚生労働省の通知(いわゆる「タスク・シフト/シェア」関連の通知)などで運用上の解釈は示されていますが、法律自体に「医師の指示が必要である」ことや、「具体的な業務範囲」が明記されていません。そのため、現場の判断に委ねられる部分が多く、法的リスクが常に付きまといます。 2. 「療養上の世話」と「診療の補助」の混在 第5条は、看護師の役割としてこの2つを並列させていますが、現代の医療現場ではこの2つを厳密に切り分けることが極めて困難になっています。 • ケアの高度化: かつては「療養上の世話(生活援助など)」と「診療の補助(治療行為)」は別物と考えられていましたが、現在はケアと医療行為が分かちがたく結びついています。 • 職域の曖昧化: 介護職や他職種との境界線も曖昧になりやすく、どこまでが看護師固有の専門的業務で、どこからが他職種でも可能な範囲かという線引きが、常に現場で課題となります。 3. 指示義務の明記がない(法的空白) 前述の通り、第5条には「医師の指示を受けて行う」という文言がありません。看護師が医行為を行う際の根拠は、主に第37条(「看護師は、主治の医師又は歯科医師の指示がある場合を除くほか、医師又は歯科医師の下でなければ、診療の補助をしてはならない」)に頼っています。 • 構造的な乖離: 「第5条で業務を定義」し、「第37条で制限をかける」という構造になっているため、法律の条文同士の整合性や、緊急時・指示の範囲がどの程度まで及ぶのかという点で、法学的な解釈の余地が大きく残されています。 まとめ:なぜこの問題が重 ーーーワーーーワーーーワ 第5条1項が意味するもの この条文は、看護師の業務を  2つの柱  に分けて定義しています。 ① 療養上の世話 食事・排泄・清潔保持 体位交換 日常生活援助 →  医師の指示がなくても行える独立業務 ...

1945–1950年、韓国における看護行政史

  1945–1950年の韓国看護行政史 【問題の所在と要約】 戦後初期(1945–1950)における韓国看護行政の再建と制度形成 1. 序論 1945年の戦勝終了後、朝鮮半島の保健医療体制は大東亜戦時医療体制の崩壊により深刻な混乱に陥り、文字通りゼロからの再建となった。 特に看護領域は、朝鮮総督府下およびキリスト系病院付属の看護教育機関の閉鎖、看護人力の散逸、制度的空白が顕著であった。 本稿は、米軍政期(1945–1948)および政府樹立直後(1948–1950)までの看護行政の再建過程を検討する。 2. 米軍政期の看護行政の成立 米軍政庁保健厚生部は、保健局内に「看護事業局」を設置し、看護行政を独立した専門領域として位置づけた。 初代局長には 洪玉順(홍옥순) が任命され、看護制度再建の中心的役割を担った 3. 看護制度の再建 看護事業局は以下の制度整備を推進した。 看護師免許制度の再構築 看護学校の認可基準および教育課程の標準化 看護人力の再登録および配置政策 公衆衛生看護制度の導入準備 これらは戦後の保健医療復興政策と密接に連動していた。 4. 国際連携と専門職団体の再建 1946年には「朝鮮看護協会」が再建され、1948年に「大韓看護協会」へ改組された。 1949年には国際看護協議会(ICN)への正会員加盟が実現し、韓国看護の国際的承認が得られた。 この過程においても洪玉順の指導力が大きく寄与した。 5. 結論 1945–1950年の看護行政は、制度的空白からの再建期であり、 看護事業局を中心とする行政的枠組みと、看護協会による専門職組織化が並行して進展した。 この時期