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グレースオルトGHQ看護少佐

  カナダ人宣教医ロバート・ガリアー(Robert G. Grierson / 韓国名:具禮善、1868–1965)は、当時の朝鮮、特に北東部エリアの医療と教育に深く関わった人物です。 「元山プレスビタリアン病院(元山長老教病院)」との関わりを含め、彼の足跡を整理しました。 1. 宣教の拠点と元山 1898年にカナダ長老教会の初代派遣宣教士の一人として来韓したガリアーは、当初**元山(ウォンサン)**を拠点に韓国語を学び、宣教活動の準備を行いました。 当時、元山にはカナダやアメリカの長老教会が拠点を置いており、ここでの経験が後の活動の礎となりました。 2. 城津(ソンジン)での献身 彼の最も主要な業績は、元山からさらに北に位置する**城津(現在のキムチェク市)**にあります。 • 済東(チェドン)病院の設立: 城津で診療所を立ち上げ、後に「済東病院」へと拡張しました。これがこの地域における近代医療の先駆けとなりました。 • 独立運動への支援: 1919年の三・一独立運動の際には、傷ついた人々を治療し、運動を支援したことから「韓国独立の恩人」として知られています。その功績により、1968年に韓国政府から建国勲章が贈られました。 3. 歴史資料としての「元山長老教病院 「元山プレスビタリアン病院」については、当時の宣教記録において、元山・城津・咸興(ハムン)などの北東部一帯を管轄していた長老教会のネットワークの一部として言及されることが多い。 ガリアー自身、あるいは彼と同時期に活動したケイト・マクミラン(Kate McMillan)などの宣教医たちは、元山と他の拠点を頻繁に行き来しながら診療にあたっていた • 人名: Robert G. Grierson / 구례선(具禮善) • 病院名: 제동병원(済東病院 / Sungjin Hospital) • 地名: 원산(元山 / Wonsan)、성진(城津 / Songjin) • 組織名: 캐나다 장로교회 선교부(カナダ長老教会宣教部)

東京裁判を見学するグレース・オルト少佐 Major Grace Alt

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  拙訳 :日本の戦犯裁判を傍聴する陸軍看護師たち 解説 日本の戦犯裁判に傍聴人として出席した陸軍看護師たち。左から順に: エドナ・ルーラ大尉(アイオワ州ローランド出身)、 グレース・オルト少佐(メリーランド州ボルチモア出身)、 メアリー・フィリップス中佐(ウィスコンシン州フリーズバーグ出身)、 フローレンス・ブランチフィールド大佐(ワシントンD.C.出身)。 彼女たちは、日本の東京にある陸軍省ビル(市ヶ谷)で行われた、27人の主要な日本人戦犯の裁判において、特別傍聴席に席についた。 日付: 1946年8月15日 登録番号(アクセッション・ナンバー): 2017-3056 8x10 インチ (21x26 cm) モノクロ 関連コレクション: ジョン・G・ブラノン文書(Brannon, John G. Papers) キーワード: 女性兵士、戦犯裁判 権利関係: パブリックドメイン(公有) この資料は公有であり、さらなる許可を必要とせず自由に利用できます。 注:この画像を使用する場合、権利の評価および帰属の表示は利用者の責任となります。 クレジット: ウェグナー氏、アメリカ陸軍通信隊、ハリー・S・トルーマン大統領図書館・博物館 メディア関係者の方へ: この資料の登録番号を控えておいてください。画像をダウンロードして出版等に使用する前に、このページを印刷して許可記録として保管してください。図書館スタッフは許可証への署名や追加の書類作成は行いません。また、ダウンロードした画像の使用料はかかりません。 原文 Accession Number   2017-3056 8x10 inches (21x26 cm)   Black & White Printer-Friendly Version   NAID  350491073   Order This Image Related Collection Brannon, John G. Papers Keywords Women soldiers   War crime trials Rights Public Domain - This item is in the public domain and can be used freely witho...

NHK朝ドラ、大関和は日本で最初の看護婦(トレインド ナース)であったか?

 問題の所在:大関和は日本で最初の看護婦(トレインド ナース)であったか? それを検証するために、つぎの論文から紹介したい。 秋山ひさ「 明治初期女子留学生の生涯 -山川捨松の場合- 」『論集』第31巻第3号、神戸女学院大学、1985年3月、81-104頁、 大山捨松(Sutematsu Ōyama) は明治15年(1882)6月14日に、 Poughkeepsie 、 New York州 にある Vassar College(正式には  Vassar Female College ) を卒業した。 その後、当時の学期制として当然な進学先のタイムスケジュールに合わせて、  New Haven Hospital(現 Yale Ne w Haven Hospital、 35 Park Street  New Haven, CT 06511 ) で学んだ。 ②大山捨松が学んだ  New Haven Hospital は、 Yale  School of Medicine (1810年創設)と密接に連携した 教育病院   primary teaching hospital で あった。 New Haven Hospital  自体は 1826年創設。 当時のアメリカには、現在のような州単位の看護師国家資格はまだ存在せず、 病院が独自に発行する「看護修了証・看護免状」が一般的であった 。 したがって山川捨松が取得した免許は、 New Haven Hospital  が運営する 看護研修課程プログラムを修了した証明書であった。 この病院の特長は ナイチンゲール方式に基づく近代看護教育であった。 • 実地看護(bedside nursing) • 衛生・消毒法 • 包帯法 • 患者観察 • 食事・清潔・排泄などの基礎看護 • 軍陣看護に準じた応急処置 などを含む、ナイチンゲール方式に基づく近代看護教育でした。 ● 実地研修(clinical training)が中心 ① 1880年代 New Haven Hospital の clinical training の核心 ■ 1. ナイチンゲール方式の導入 アメリカで本格的な看護教育が始まったのは1873年で、 その「三大ナイチンゲール校」の...

「看護」や「銃創看病人」ーー戊辰戦争従軍医 弘田親厚著『慶応四戊辰 会津征討日記 弐の巻』

①  丹野美子氏が「戊辰戦争従軍医 官軍弘田親厚 (ちかあつ) の日記」(『古文書に学ぶ日本史(下)』名著出版) ②慶応4年4月24日に「 銃創看病人 として此地の婦人九人雇入養生局に差置ける」 ③親厚が書き残した『東征道の記』『会津征討日記』には、 1,「銃創看病人」 2,看護主任 3、看護 などの用語がある。 ④訓練か未訓練の看病人か?

女性看病人から有志共立東京病院看護婦教育所、京都看病婦学校、 桜井女学校看護婦養成所へ至る道

要点: 「女性看病人」に関するメモ 横浜軍陣病院の「女性看病人」は「女性の看護者を雇用した日本最初の職業看護婦」 壬生城養生局の、戊辰戦争期における女性看病人は「銃創看病人」として直接に負傷者などの看護業務を担当。  ⇒ → 「銃創看病人」的役割を担う、近代看護の原型 会津藩・山国隊においては、「看護」と「洗濯・炊事」業務は明確に区別し、看護はその専門業務を担当。 ● 第 1 層:直接看護(女性看病人) 清拭・体位変換 食事介助 排泄介助 創傷の観察 包帯交換の補助 発熱・感染症患者の隔離補助 夜間の付き添い ● 第 2 層:診療補助(医師助手・若い藩士・雑役男) 患者搬送 麻酔・手術準備の補助 医療器具の洗浄 血液・排泄物の処理 → ウィリスの外科手術を支える技術的サポート ◆ ウィリス医療チームの階層モデル ● 1. 指揮層(医療・行政) ウィリアム・ウィリス(病院長) 外科手術 麻酔使用 医療方針の決定 女性看病人の採用 2,看護層(女性看病人)           直接看護(前述の通り)          患者観察          夜間看護 → ウィリスの医療哲学(清潔・観察・衛生)を体現した層 ◆ 年表( 1868 – 1890 ) ● 1868 (慶応 4 /明治元) 横浜軍陣病院開設(修文館・太田陣屋) 女性看病人を正式雇用(日本初の職業看護婦) 戊辰戦争各地で女性「銃創看病人」が活動(壬生城養生局) ● 1873 (明治 6 ) 横浜軍陣病院 → 十全医院へ移管   ● 1877 (明治 10 ) 博愛社(日本赤十字社の前身)創設 看護の制度化が始まる                                             ● 1885 – 1886 (明治 18 – 19 ) 有志共立東京病院看護婦教育所(慈恵) 京都看病婦学校 桜井女学校看護婦養成所 → 本格的な看護教育が制度化 <参考資料①>  サ ー ・ヒュ ー ・コータッ...

日本の看護が「家庭的看病」から公共的実践へ移行⇒横浜で実施された宣教師による看護教育

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  メアリー・E・キダー Mary Eddy Kidder  (January 31, 1834 – June 25, 1910) was an American missionary and educator 4 アメリカ人宣教師 横浜で**フェリス女学院(現: フェリス女学院 )**を創設 女性教育を通じて、 衛生観念や看護的ケアの重要性 を普及 👉 直接「看護婦」業務に従事していないが、女子教育の中に*「近代的看護の素地(清潔・観察・奉仕):概念を導入した点で重要。 宣教師系女性たち(無名の看護実践者) 横浜では、特定の個人名以上に重要なのが、 宣教師ネットワークとしての女性たち です。 主な活動 居留地や周辺での 医療補助・看護 貧困層や女性・子どもへのケア 衛生・清潔の指導(感染症対策) 特徴 キリスト教的「奉仕」の理念に基づく活動 医師(多くは男性宣教師)と連携 日本人女性への教育・影響が大きい 横浜における歴史的意義 これら外国人女性の活動は、 日本の看護が「家庭的看病」から公共的実践へ移行する契機 女性が社会的役割を持つモデルの提示 看護教育 ミッション病院 日本赤十字の活動 への間接的影響

横浜軍陣病院に関するメモ

  要点 日本初の本格的西洋外科病院 戊辰戦争の中央治療センター ウィリスによる近代外科・公衆衛生の導入 医療史・軍事史・横浜史の交点に位置する重要施設  1. 横浜軍陣病院の位置3説 (修文館・太田陣屋・大聖院) ● A. 修文館(神奈川奉行所の学問所) 所在地:横浜市西区野毛山周辺 現在の地形でいうと「野毛山動物園〜野毛山公園」一帯か ここが軍陣病院の 主要病棟 ● B. 太田陣屋 野毛山の南側斜面にあったとされる 修文館と近接し、 増設病棟または兵站拠点 として利用された可能性 現在は遺構が残らず、正確な位置は推定 ● C. 大聖院(臨時病棟・墓地) 患者増加時に臨時病棟として使用 死亡者の埋葬地としても機能 現在も寺院として現存  横浜市西区元久保町5–20 ◆ 2. ウィリスの医療ネットワーク図 ウィリアム・ウィリス(英国公使館医官) ● A. 横浜ノード(軍陣病院・居留地医療) 横浜軍陣病院(病院長) 横浜ディスペンサリー(薬局) 天然痘病院(予防接種・公衆衛生) 外国人居留地の診療 機能:外科手術・感染症治療・公衆衛生 ● B. 京都ノード(薩摩藩野戦病院) 相国寺・養源院での外科手術 西郷隆盛・大山巌らとの連携 麻酔・消毒の導入 機能:野戦外科・救命処置 ● C. 大阪ノード(外交官業務+医療) 神戸事件の負傷者治療 外交団随行医官としての活動 機能:外交医療・緊急外科 ● D. 東北ノード(北越戦線・会津戦争) 北越戦線軍陣病院 敵味方を問わない治療(赤十字精神の萌芽) 機能:野戦病院・捕虜救護 ● E. 東京ノード(医学校・病院創設) 東京医学校兼病院(東大医学部前身)創設 看護人(女性)採用の先駆 機能:教育・制度構築 ● F. 鹿児島ノード(医学校創設) 鹿児島医学校(鹿児島大学医学部前身)創設 機能:地方医学教育の基礎形成 ◆ 3. 戊辰戦争の医療体制モデル ● A. 動病院(前線移動型) 戦線とともに移動 応急処置・止血・包帯 例:奥羽出張病院の分院 役割:一次救命 ● B. 不動病院(後方固定型) 一定の地に留まり、重症者を治療 医師・看病人・人足が配置 例:白河口・潟口の後方病院 役割:二次治療・安定化 ● C. 中央病院(横浜軍陣病院) 東日本の重症者を集中的に治療 外科手術・麻酔・消毒を実施 ウィリスが統括 役...