日本GHQ看護史研究者に欠けていた分析視点は?ーー 「GHQ看護教育改革のアメリカ国内における思想的・制度的前史」ーー米国国内の看護教育改革 → Alt / Sharrocks の専門形成 → 日本・韓国占領下の看護教育改革
今、 米国における第一次大戦期から看護教育の標準化・教育方法・図書館整備を継続的に制度化しており、その蓄積が第二次大戦中の大量養成と戦後改革の基盤になった ことに関心を持って研究を進めている。 特に重要なのは、NLNE(National League of Nursing Education)の系譜である。1914年に教育課程の標準化が議論され、1917年には最初の Standard Curriculum for Schools of Nursing が刊行された。これは画一的な強制基準ではなく、「望ましく実行可能な共通標準」を作ろうとしたもの。実際、1917年版には、看護を単なる一病院の労働力ではなく national service として捉える発想が明確に現れていることに、注目したい。 NLM医療史ファインディングエイズ 書誌上は1917年、1918年、1919年、1922年など複数版が確認でき、内容も「教育課程」だけでなく、 教員、入学基準、教育設備、教授法、実習、Public Health Nursing、参考文献 まで含んでいる。特に関心を払うべきは、第一次大戦期には、すでに「何時間教えるか」だけではなく、 どう教えるか、どの教材を使うか、どんな実習環境を整えるか まで体系化されていたわけことである。 Google Books さらに1937年には A Curriculum Guide for Schools of Nursing が689頁もの大部なテキストへと結実している。章立てには Philosophy and Aims of the Curriculum、 Standards and Specifications、 teaching techniques、 nursing experience、 supervision などが並んでいる。このテキストを見るだけでも、1920年代の「標準課程」から数歩進んで、 カリキュラムそのものを教育学的に設計する段階 に入っていたことを教える。 A Library Handbook for Schools of Nursing (1936)は、決して脇役ではありません。 「看護学校には図書館が必要である」 「どの本を置くべきか」 「学生が自ら調べて学習できる環境を...