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『GHQ/SCAP Public Health and Welfare Weekly Bulletin 看護関係史料・校訂訳』(その2)作成者:T・M&T・Y

  No.2(1945年10月21日―27日)  の校訂版。本史料の原写真版に欠損が多いため、現状で読解できない箇所はそのままにしている。将来、米国で本史料を直接に手に取る機会に恵まれることを期待したい。 No.2 1945年10月21日―27日 Nursing Affairs(看護関係事項)〔2026年校訂版〕 原見出し Nursing Affairs a. Reports received from the Japanese government. (1) [判読不能] したがって、確定できる日本語訳は、 「看護関係事項――日本政府から報告を受領した。」 までである。  その後に(1)として具体的な報告内容が続いていたことは確認できるが、現在の史料では当該部分の判読が困難である。したがって今回でも、内容を推測して補うことはせず、 (1)〔原史料判読不能〕 とする。 Weekly Bulletin PH and welfare … 【関連記録――Administration of Hospitals】 ただし、この週の看護史を考えるうえでは、直前の Administration of Hospitals(病院管理) に重要な看護関係統計があります。 日本政府は1936年から1945年までの医師・歯科医師・薬剤師・看護婦数について報告している。原文によれば、 Total number of nurses showed a decrease from 113,987 in 1936 to 96### in 1945. すなわち、 「看護婦の総数は、1936年の113,987人から1945年の96,###人へ減少した。」 とある。なお、1945年の下三桁は原史料から確定できない。そして同報告は、軍務に就いていた薬剤師および看護婦の人数については推計値を示していないことにも留意すべきである。 【校訂注】 No.1では、日本側から養成学校の所在地、学生数、既卒者数、教育課程などがGHQ側へ提出された。No.2でも引き続き Reports received from the Japanese government と記録されており、厚生省など関連官庁からの報告が提出されに違いない。したがって少なくとも、 占領開始直後のこの時期に、GHQ/SCAPが日本政...

『GHQ/SCAP Public Health and Welfare Weekly Bulletin 看護関係史料・完全校訂訳』(その3)作成者:T・M&T・Y

 No.3 1945年10月28日―11月3日 Nursing Affairs〔2026年校訂版〕 日本側から受領した報告 ① 日本保健婦協会(Japanese Public Health Nurses Association)の1945年4月制定の会則(Constitution and By-laws)の英訳版 を受領した。 ② 聖路加看護教育機関(St. Luke's College of Nursing)の1945年版カリキュラム を受領した。 ③ 日本保健婦協会の会員数に関する報告 を受領した。会員数は 6,921名 であった。 Weekly Bulletin PH and welfare … 【研究上の意味】  GHQは人数だけでなく、各 職能団体の会則(細則)と各教育機関のカリキュラム自体を収集し始めた。 No.1の数量的な現状調査から、制度・組織・教育内容の把握へと調査対象が拡大、深化しつつある。 分類:7-2 看護教育・カリキュラム/7-3 看護職能団体

『GHQ/SCAP Public Health and Welfare Weekly Bulletin 看護関係史料・校訂訳』(その1)作成者:T・M&T・Y

 GHQ/SCAP Public Health and Welfare Weekly Bulletin No.1 1945年10月14日―20日 Nursing Affairs(看護関係事項)〔改訂版〕 日本側からの報告 日本側から、看護職の養成学校に関する報告が提出された。原文には、 “Training Schools for nurses - 907 Midwives, 69 public health, 4## Clinical.” と記載されている。ただし、原史料の判読状態が不良であり、この箇所の数値と項目との対応関係は確定できない。したがって、「助産婦養成校907校」「保健婦養成校69校」などとは現段階では訳さず、 判読・意味未確定 として留保する。 また、赤十字病院の養成施設について、 “Red Cross Hospitals - (Training School) for nurses 90, midwives 3.” との記載があるが、ここについても「看護婦養成校90校、助産婦養成校3校」と直ちに確定することは避ける。 さらに、一般病院および療養所について「3609」との数値が記されているが、その数値が何を示すかについては、原画像および関連報告などとの照合を要する。 日本側から受領した資料 日本側から、以下の看護関係資料が提出された。 ① 結核に関する報告。(ただし、この箇所は原史料の判読状態が悪く、詳細は確定できない。) ② 日本全国の看護婦養成学校について、その所在地、学生数等を記載した報告。また、東京所在の看護婦養成学校、赤十字関係養成学校等の一覧。 ③ 日本における既卒看護婦および助産婦の人数に関する報告。 ④ 保健婦(Public Health Nurse)、助産婦(Midwife)、臨床看護婦(Clinical Nurse)の教育課程(Curriculum)。 Weekly Bulletin PH and welfare … 看護職員・学生・養成学校数 続くPersonnel(人員)欄には、「Graduates(既卒者)」「Students(学生)」「Training Schools(養成学校)」の三項目による統計が示されている。 区分 既卒者 学生 養成学校 臨床看護婦(Clinical Graduate Nurse)...

はじめに――占領期東アジア看護改革を比較史的に捉えるために

  はじめに――占領期東アジア看護改革を比較史的に捉えるために 第二次世界大戦後の日本における看護制度の改革については、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)公衆衛生福祉局(Public Health and Welfare Section)の活動、とりわけ看護課を中心として進められた看護教育・看護行政の改革が重要な研究対象とされてきた。Grace Elizabeth AltをはじめとするGHQ看護関係者の活動についても史料の発掘と研究が進められ、占領期の看護改革が戦後日本の看護制度形成に与えた影響が明らかにされつつある。 しかし、ここで改めて問い直す必要があるのではないだろうか。戦後日本の看護改革は、果たして「日本」という一国の枠内だけで理解することのできる歴史的事象なのであろうか。1945年、日本が連合国軍の占領下に置かれたのとほぼ同じ時期、朝鮮半島もまた日本の植民地支配から解放され、北緯38度線以南は米軍の占領下に置かれた。そこでは United States Army Military Government in Korea(USAMGIK)による軍政が実施され、その公衆衛生福祉行政を担当した Bureau of Public Health and Welfare のもとで、医療・衛生・福祉制度の再編が進められていた。 ところが、日本の占領期看護史を考える場合、この米軍政下朝鮮における看護政策は、少なくとも日本側の研究視野には十分に組み込まれてこなかったように思われる。  筆者が収集した米軍政庁 Bureau of Public Health and Welfare の Weekly Report は、この問題を再検討するための重要な一次史料である。この史料群には、予防医学、医療、衛生、看護、歯科、獣医、医薬品供給、人口動態、社会福祉など、米軍政下における公衆衛生福祉行政の実施状況が週単位で記録されている。そこには政策決定だけではなく、施設の移転、人員配置、研修、会議、専門職団体の形成など、制度が実際に形成されていく過程を具体的に確認できる記録が含まれている。 GHQ-weekly Bulietin 1946年3月31日―… なかでも注目されるのが、 Nursing Affairs Section である。 1946年3月23日を終...

GHQ週報(PHW / Weekly Bulletin)に見る看護課(Nursing Affairs)活動

  GHQ週報(PHW / Weekly Bulletin)に見る看護課(Nursing Affairs)活動分析 1. 日本の看護要員統計(臨床、保健婦、助産婦、結核看護等)の実態把握と変遷 統計の不在と推計の背景 : 占領直後、GHQ/SCAP公衆衛生福祉局(PHW)の初代看護課長G.E.オルトらが厚生省から得たデータによれば、戦前の日本においては富国強兵政策や母子保健・結核対策の推進に伴い「保健婦」や「産婆(助産婦)」の法制化や実数把握はある程度進んでいたものの、一般「看護婦」に関する全国的かつ統一的な実態把握や資格基準は極めて曖昧であった 。 週報(Weekly Bulletin / Daily Journal)によるデータ蓄積 : DJやWBの記録によると、オルトらは東京帝大病院、聖路加、日赤病院などの主要医療機関への実地調査や、1946年4月の神奈川県を皮切りとした全国規模の看護・保健婦・産婆の実態調査を連動させ、臨床現場の人員数、病床数に対する看護婦の配置比率、さらには結核病棟などの特殊部門における従事者の実態を次々と定量化していった 。 2. 養成施設のカリキュラム、修業年限、入学資格の改革 戦前・戦中の水準に対する批判 : オルトらの視察および週報の記録では、当時の日本の看護教育はアメリカ基準に比べて修業年限が短く(戦時体制下で2年等への短縮が見られた)、教育水準やカリキュラムに統一的な国家基準が存在しない点が強く問題視された 。 新基準の導入とモデルの提示 : こうした状況を打破するため、1946年3月に発足した「看護教育審議会」において、修業年限、厳格な入学資格(高校卒業資格や選抜試験の義務化)、そして解剖学・栄養学・基礎看護技術・公衆衛生を網羅した近代的なカリキュラムの編成が討議された 。これがのちの「東京看護教育模範学院」の設立へと直結し、教育の質的転換を図る基盤となった 。 3. 聖路加等のモデル校(デモンストレーションスクール)に関する言及 モデル校設立の経緯 : GHQ看護課は、日本の看護水準を抜本的に引き上げるための模範(デモンストレーション)となる教育施設の設立を構想した 。 日赤および聖路加の機能統合 : 1946年4月の看護教育審議会における討議を経て、日本赤十字社看護婦養成所と聖路加女子...

GHQ/PHW Weekly Bulletin とは?  全体構成

 【GHQ/PHW Weekly Bulletin 全体構成】  1. 概観 (Outline / General Review)  2. 予防医学 (Preventive Medicine) - 伝染病(発疹チフス、天然痘、ジフテリア等)の発生・防疫・予防接種データ   3. 福祉 (Welfare) - 引揚者・難民の救済、社会福祉事業、児童・母子福祉   4. 医事・病院管理運営 (Medical Affairs / Hospital Administration) - 旧陸海軍病院の民間移管、病院強度(Bed Strength)、患者・医師・看護婦数の統計   5. 獣医学 (Veterinary Affairs) - 伝染病(牛疫、鼻疽など)対策、動物由来感染症の管理  6. 歯科 (Dental Affairs) - 歯科医療体制の再編   7. 看護 (Nursing Affairs) ★最重要セクション - 日本の看護要員統計(臨床、保健婦、助産婦、結核看護等) - 養成施設のカリキュラム、修業年限、入学資格 - 聖路加等のモデル校に関する言及 - 韓国等(第24軍団管内)の看護教育・リフレッシュコース動向  8. コンサルタント (Consultant Reports)  9. 栄養 (Nutrition)  10. 医薬品供給 (Supply) - 製薬工場の稼働状況、医療物資・ワクチンの配給  11. 人口動態統計 (Vital Statistics)  12. 法務 (Legal Affairs)  13. 日本政府への通知メモ (Memoranda to Japanese Government / SCAPIN関連)  14. その他 (Miscellaneous) ******************* GHQ Public Health and Welfare(PHW)    Weekly Bulletin 概説 1) 本資料は、 G...

GHQ週報に見る聖路加高等看護学校のカリキュラム

  聖路加高等看護学校 戦後の日本において、GHQ/PHW(特に看護コンサルタントのグレイス・オルトら)が旧来の日本の看護制度(修業年限の短縮や臨床判断力の不足、医師の従属的立場など)を徹底的に批判・刷新しようとした際、聖路加高等看護学校は「日本における数少ない、欧米水準に匹敵する近代式看護教育のモデルケース」として捉えられていた。 ナイチンゲール教育の系譜: 創立以来、米国式(ナイチンゲール式)の独立した看護教育システムや、厳格な入学者選抜、科学的根拠に基づいたベッドサイドの看護実習を維持してきた点が高く評価されていた。 公衆衛生看護(パブリック・ヘルス・ナース)の統合: 単なる病院内での臨床看護だけでなく、地域社会に出た保健活動(公衆衛生看護)を教育課程に組み込んでいる点が、GHQが目指す新しい保健医療体制の理念と合致していた。 2. 週報および占領初期ドキュメントに表れる聖路加の状況・カリキュラム的特徴 週報や関連の占領期資料において、聖路加およびそのカリキュラム、教育体制は以下のような文脈で言及・視察の対象となった。 施設接収と教育機能の並存: 終戦直後、聖路加国際病院の建物自体は米軍(陸軍病院等)に接収・利用されるという曲折を経験しましたが、その中でも看護学校としての教育機能を存続・再構築するための模索が行われた。 カリキュラムの「3年制」と「科学的基礎」: 当時、日本の一般の病院附属養成所が戦時下の特例で修業年限の短縮(1.5〜2年)や低年齢化を余儀なくされていたのに対し、聖路加が堅持してきた「中等教育修了を前提とした高等教育機関としての3年制カリキュラム」や「解剖学・生理学などの基礎医学と看護学の体系的統合」は、のちの「保健婦助産婦看護婦法(保助婦法)」および看護学校養成所指定規則(3年制の導入)を立案する際の、実質的なベンチマーク(手本)となった。 日本人看護指導者層の拠点: 戦後レフォルメの過程で、聖路加の出身者や指導者たちは、厚生省の看護行政や新しい看護教育の設計において中核的な役割を担うことになった。 聖路加のこうした教育的基盤が、オルト少佐らによる全国的な看護学校の底上げ(3年制・国家試験化)の構想にどのような影響を与えたのか――保助婦法前夜の制度設計において極めて重要な接点となった 。