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Altの看護思想が「制度化された形」のPrinciples of the Nursing Procedures

 Altの看護思想が「制度化された形」 Kango jisshu =: Principes of the nurtsing procedu 第1章 看護の基本原則 看護は科学である 看護は観察と判断の技術である 患者の安全と衛生を最優先する (Altの理念が反映) ●第2章 看護技術の標準化 ベッドメイキング 体位変換 清拭 食事介助 排泄介助 GHQは「手順の標準化」を強く求めた。 ●第3章 観察と記録 体温・脈拍・呼吸の測定 症状の変化の記録 医師への報告手順 ここに「看護は科学である」というAltの思想が最も強く現れる。 ●第4章 衛生と感染管理 手洗い 器具の消毒 病室の清潔保持 ナイチンゲールの衛生思想が反映。 ●第5章 患者との接し方 患者の尊厳 心理的ケア コミュニケーションの基本 GHQは「看護は人間理解である」という理念を強調 NLM(National Library of Medicine)公式サイト https://www.nlm.nih.gov NLM の蔵書検索システム(LocatorPlus)アクセス NLM の蔵書検索は LocatorPlus という公式データベース 検索窓の入力法 Principles of the Nursing Procedures GHQ Nursing Affairs Division 看護実習 SCAP Public Health and Welfare Section

GHQ/SCAP公衆衛生福祉局(PHW)の週報に見る海外からのヒトの移動

 GHQ/SCAP公衆衛生福祉局(PHW)の週報に見る海外からのヒトの移動 「 復員軍人および民間人の流入: 1945年秋以降、数百万規模の日本人が各地域から引き揚げることが見込まれ、政府側の受入能力の脆弱さが指摘された 」という点について、当時のGHQ/SCAP公衆衛生福祉局(PHW)の週報には、次のように掘り下げて調査・整理していた。 1. 終戦直後の海外同胞の規模と「数百万規模の流入」の背景 1945年8月の敗戦時、旧日本軍の軍人・軍属、および一般の民間人(海外居留民)を含め、外地(中国、満洲、台湾、朝鮮半島、南太平洋、東南アジアなど)に取り残されていた日本人は、 総計で約660万〜680万人 (当時の日本国内人口の約1割に匹敵)にのぼっていた。 内訳の目安: 軍人・軍属が約330万人、民間人が約330万人と、ほぼ半数ずつが海外に存在していた。 1945年秋以降の現実: この数百万の群れが、一斉に日本本土へ帰還(復員および引き揚げ)を開始した。GHQのPHW週報(1945年10月〜1946年初頭の記録)においても、この巨大な人的流入が日本社会のインフラに与える衝撃が深刻な脅威として捉えられていた。 2. なぜ政府側の「受入能力が脆弱」と指摘されたのか GHQの初期週報や当時の行政記録では、日本政府(厚生省、内務省、復員関係部局など)の対応能力が以下のような理由から「著しく脆弱(あるいは機能不全)」であると厳しく批判した。 ① 行政組織の縦割り・混乱と情報不足 終戦直後の日本政府は、組織の再編期にあたり流動的であり、厚生省などの中央官庁すら「下1階層(地方自治体や現場)で何が起きているか」「何人の引揚者がどこに向かっているか」の正確な数値や実態を把握できていなかった。初期の週報でも、厚生省が提出するデータが極めて不完全であることが繰り返し指摘している。 ② 港湾インフラの破壊と収容・宿泊施設の欠如 海外からの引揚船が到着する指定港(博多、仙崎、舞鶴、浦賀、宇品など)において、受け入れるためのバラック、宿泊所、給水・衛生施設が圧倒的に不足していた。 例えば、朝鮮半島からの主要な帰還口となった博多や仙崎では、適切な収容施設がないまま帰還民が港湾周辺に野積み状態で滞留し、これが衛生悪化や伝染病(発疹チフスや天然痘)の温床なった。 ③ 鉄道・輸送網の麻痺と燃...

米国国立公文書館所蔵「GHQ/SCAP公衆衛生福祉局(PHW)の週報(1945年10月〜11月期の「Nursing Affairs」ーー

 米国国立公文書館所蔵「GHQ/SCAP公衆衛生福祉局(PHW)の週報(1945年10月〜11月期の「Nursing Affairs」ーー  GHQ/SCAP公衆衛生福祉局(PHW)の週報(1945年10月〜11月期の「Nursing Affairs」セクション等の記述)には、占領直後に日本政府(厚生省)からGHQへ提出された、戦前〜戦中における看護要員の類型、学校数、従事者数の公式統計(1945年9月〜10月時点の報告データ)が残されている。 これらを基に、1945年8月15日以前の日本における看護婦養成のタイプ別実態を以下に紹介したい。。 1. 1945年8月15日以前の看護要員・養成施設の全体像(GHQ初期報告データ) GHQ初期週報の「Nursing Affairs(看護事情)」に記録されている日本政府の報告によると、終戦直後の日本には総計約16万〜18万人の看護・保健関連の有資格者が存在していた。その養成システムは、大きくいくつかのタイプに分かれていた。 ① 日本赤十字社(日赤)ルート:圧倒的な規模を誇る「従軍看護婦」養成 戦前の日本における看護婦養成の最大かつ最も組織的な基盤は、日本赤十字社でした。 従軍看護婦・救護員の実態: 日赤は全国の支部病院や養成所で体系的な看護教育を行っており、日中戦争から太平洋戦争にかけて、約3万4千人(一説には3万4千名以上とも記録される)もの膨大な数の看護婦が軍へ動員(従軍)され、陸海軍病院や特設病院、病院船などで過酷な医療救護に従事した。 週報の初期データでも、日赤病院およびその附属養成所(全国の主要都市に展開)は、一般病院とは一線を画す「米国の水準に最も近い組織的看護教育機関」としてGHQ側にも認識されていた。 ② 聖路加高等看護学校(現・聖路加国際大学)ルート:近代式看護の例外的な拠点 ガートルード・ホッド金ら米国人宣教師・看護指導者によって築かれた近代式看護教育(ナイチンゲール流)の牙城であり、大学レベルの高等教育とパブリック・ヘルス(公衆衛生看護)の統合を目指した数少ないエリート養成校であった。 ただし、戦時中は軍需や統制の色合いが強まり、施設自体も米軍(占領後)や日本軍に接収・転用されるなど曲折を経たが、 戦後レフォルメにおける「ゴールドスタンダード」 として機能することになる。 ③ 一般病...

GHQ初期週報にみる旧陸海軍病院の実態と移管・再編動向

  GHQ初期週報にみる旧陸海軍病院の実態と移管・再編動向 1. 終戦直時点における旧陸海軍病院の規模と傷病兵の状況(1945年8月〜9月) 旧陸軍病院の状況: 1945年8月15日時点で、帝国陸軍は日本国内および韓国(釜山など)において、 計277箇所(日本国内268箇所、韓国9箇所) の病院を運営していた 。 敗戦時、これらの陸軍病院および4箇所の病院では、約 78,000人 の負傷兵・病気療養中の復員軍人が治療を受けていた 。 しかし、戦災によってそのうち8箇所の陸軍病院が一部または全壊しており、多くの施設が旅館、学校、その他の民間建物へと急遽移転して診療を続けていた 。 旧海軍病院の状況: 帝国海軍は、総計 14,000床 のキャパシティを持つ海軍病院を運営していた 。 空襲により、3箇所・合計700床分の病院施設が70%〜80%焼失するなどの被害を受けた 。 医療人員の復員(デモビリゼーション): 1945年9月15日時点の日本政府の報告によると、陸軍からは 医師15,700人、歯科医師29人、薬剤師1,500人、看護婦15,000人 が復員した 。 同時期に海軍からも 医師3,279人、歯科医師253人、薬剤師213人、看護婦500人 が復員した 。 2. 運営主体の変更とGHQによる「非軍事化」指令(1945年11月) 旧陸海軍病院は、当初は軍の解体に伴い「復員庁(旧陸軍省・海軍省の流れをくむ傷兵保護院・厚生省の関連部局)」の管轄下に置かれましたが、GHQ/PHWは軍国主義的な色彩を排除するため、厳格な統制と一般民間への開放を命じた。 傷兵保護院から厚生省(民間医療)への移管: 1945年11月13日付のGHQ覚書(AG 334 PH)および同年11月17日付の覚書(AG 632 PH、SCAPIN-265相当)により、旧陸軍および海軍が保有していたすべての病院、サナトリウム、療養施設は、 内務省を経由して、民間人の医療・入院を担当する厚生省(厚生省の所管部局)へと移管する ことが命じられた 。 「軍人・家族専用」の禁止: GHQは、これらの旧軍病院の施設やベッドを、元軍人やその家族の治療だけに限定して優遇・利用することを明確に禁止 。一般の日本人市民(一般傷病者や結核患者、戦災者など)の医療ニーズに対しても広く開放し、統合・運用することが義務...

GHQ週報に見る韓国情報ーー日本から韓国への帰還者など

 GHQ週報に見る韓国情報ーー日本から韓国への帰還者など GHQ/SCAP公衆衛生福祉局(PHW)の週報(Weekly Bulletin)のテキストデータの中から、 朝鮮半島(Korea / 釜山、京城、ソウル、38度線など)に関する記事や記述 を抜き出して列挙する。 1945年10月14日〜20日の週報 朝鮮人のケアと引き揚げ: 下関エリアを通じた朝鮮人の引き揚げが1945年8月26日から進行中であること 。日本の引き揚げ船の運航により、すでに釜山(Fusan)で約10万人が出発したと推定されていること 。港湾地区は混雑し、状況は不満足であると報告されていること 。 日本政府の指定: 日本政府が厚生省(Welfare Ministry)に対し、特定港湾で双方の引揚者に十分な宿泊所、医療、食糧を提供し、戦時中の管轄を調整するための受入センター設置の責任を負う指定を行ったこと 。 朝鮮向け医療物資: 小型ワクチンの小規模な供給が朝鮮向けに行われたこと 。 チフスと朝鮮半島: 北海道や北部本州、そして朝鮮半島における発疹チフス(louse-borne typhus)の存在が、直ちに対策を講じる必要性がある喫緊の問題として挙げられていること 。 1945年11月4日〜10日の週報 朝鮮人の帰還と移動統制: 下関、仙崎、博多などの混雑する引揚エリアにおける、朝鮮人らの食糧支給、住居、医療・供給、検疫、衛生、一般管理の深刻な不備が現地調査で判明したこと 。これに対し、第6軍軍医や軍政主任官、本部のC-1およびC-3セクションを通じて、受入センターを活用した移動統制や即時の改善措置が取られたこと 。 韓国における医療供給(XXIV Corps): 第24軍団(XXIV Corps)が、基礎医療単位の6ヶ月分の需要(約6ネットワーク分、合計360単位)を要求したこと 。 朝鮮における医療用品の生産と配給(第24軍団管内): 米国占領下の韓国における医療・歯科・獣医の生産・配給は、軍政長官の公衆衛生局(Bureau of Public Health)医療供給セクションの責任下にあること 。 配給は、公衆衛生局の直接監督下で運営される「朝鮮医療会社(Chosen Medical Company)」を通じて行われており、同社は日本統治時代に医薬品の生産・配給を独占し...