1945–1950年、韓国における看護行政史

 

1945–1950年の韓国看護行政史

【問題の所在と要約】

戦後初期(1945–1950)における韓国看護行政の再建と制度形成

1. 序論

1945年の戦勝終了後、朝鮮半島の保健医療体制は大東亜戦時医療体制の崩壊により深刻な混乱に陥り、文字通りゼロからの再建となった。

特に看護領域は、朝鮮総督府下およびキリスト系病院付属の看護教育機関の閉鎖、看護人力の散逸、制度的空白が顕著であった。 本稿は、米軍政期(1945–1948)および政府樹立直後(1948–1950)までの看護行政の再建過程を検討する。

2. 米軍政期の看護行政の成立

米軍政庁保健厚生部は、保健局内に「看護事業局」を設置し、看護行政を独立した専門領域として位置づけた。 初代局長には 洪玉順(홍옥순) が任命され、看護制度再建の中心的役割を担った


3. 看護制度の再建

看護事業局は以下の制度整備を推進した。

  • 看護師免許制度の再構築

  • 看護学校の認可基準および教育課程の標準化

  • 看護人力の再登録および配置政策

  • 公衆衛生看護制度の導入準備

これらは戦後の保健医療復興政策と密接に連動していた。


4. 国際連携と専門職団体の再建

1946年には「朝鮮看護協会」が再建され、1948年に「大韓看護協会」へ改組された。 1949年には国際看護協議会(ICN)への正会員加盟が実現し、韓国看護の国際的承認が得られた。 この過程においても洪玉順の指導力が大きく寄与した。


5. 結論

1945–1950年の看護行政は、制度的空白からの再建期であり、 看護事業局を中心とする行政的枠組みと、看護協会による専門職組織化が並行して進展した。 この時期




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