森鴎外と看護規則

大正4年に日本で最初の看護婦規則が制定されたことは、周知の通りである。
その規則制定に当たり、森鴎外が参与していたことはあまり知られていない。委員長高木兼寛の友人であった鴎外が諮問委員会に呼び出されたはずです。その場で鴎外がどのような役割をしたかは資料の発見を待たなくてはならない。

大正四年六月三〇日内務 省令第九号看護婦規則

看護婦の認可は従来府県に任され、資格取得の条件も各府 県により多少まちまちであったが看護婦の需要の増大に伴 い、規制を統一し、学識・技術の不均衡を是正し、同時に免 許の効力を全国共通とし、さらに地方長官の指定した学校・ 養成所の出身者には無試験で免状を下付する特典を制度化す ることを狙いとした看護婦規則案が内務省から中央衛生会に 諮問され、大正四年一月二一日の定例会議にかけられ、委員 委託となった。調査委員には高木兼寛・中川望・森林太郎、 木村()・中浜東一郎・金杉英五郎・山田()・野田忠広、 栗本庸勝が当たり、三月一八日の定例日に委員長高木兼寛か ら報告があって可決された。本案は大正四年六月三〇日内務 省令第九号看護婦規則として公布になり、一〇月一日から実 施された。また本規則第二条第一項第二号の看護婦学校及び 同講習所指定基準に関する訓令案も七月一日の中央衛生会で可決された

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