産婆養成に関する写真資料(明治7年「医制」ほか)

 産婆とは、今でこそ助産師と呼ぶが、それまでの名称はさまざまであった、しかし民俗学の大先達の柳田国男がすでに全国から方言を収集しているので、資料①に掲載した。

さて、産婆養成の歴史において、二つの学制を理解しておかねばならない。

(1)1867(明治元)年12月24日に発布された産婆取締規則

(2)明治7年(1874)「医制」

公布日:1874年(明治7年)8月18日

発布主体:文部省(当時、医療行政は文部省の管轄)

施行地域:東京府・京都府・大阪府の三府

条文数:全76条


(3)保健婦助産婦看護婦法(昭和23年法律第203号)とは?

公布:昭和23年7月30日(1948年):施行:昭和24年1月1日(1949年)

・保健師助産師看護師法(◆昭和23年07月30日法律第203号)

昭和二十三年法律第二百三号

保健師助産師看護師法

第一章 総則

第一条この法律は、保健師、助産師及び看護師の資質を向上し、もつて医療及び公衆衛生の普及向上を図ることを目的とする。
第二条この法律において「保健師」とは、厚生労働大臣の免許を受けて、保健師の名称を用いて、保健指導に従事することを業とする者をいう。
第三条この法律において「助産師」とは、厚生労働大臣の免許を受けて、助産又は妊婦、じよく婦若しくは新生児の保健指導を行うことを業とする女子をいう。
第四条削除
第五条この法律において「看護師」とは、厚生労働大臣の免許を受けて、傷病者若しくはじよく婦に対する療養上の世話又は診療の補助を行うことを業とする者をいう。
第六条この法律において「准看護師」とは、都道府県知事の免許を受けて、医師、歯科医師又は看護師の指示を受けて、前条に規定することを行うことを業とする者をいう。




<参考資料①>

 又一つ新しい問題を提出して見たい。産婆を單にバアサンといひ、又はババ、ババサ若くはオンバといへば、此職業の婦人をさす處も少なくは無いが、それでは不便である故に、地方で工夫し出した色々の名前があるらしい。それが産婆といふ職業の發生、又その社會上の地位ともいふべきものを、推定せしめる手がかりになるのみならず、一歩を進めては常人の家庭に於て、誕生といふ事實をどう考へて居たかといふ、かなり大切な問題も答へ得しめるやうになるかと思ふから、今後讀者の注意を乞ひたいのである。
 現今は若い婦人に氣の毒とは思ひつゝも、サンバサンといふ語をそつと用ゐて居るのは、其他の名が更に今一層不適當な爲であらう。私などはトリアゲバアサンの手にかゝつた一人であるが、此名は餘程古くからの標準語と言つてもよからう。貞享版の節用集には、世話詞として「穩婆トリアゲババ」と出て居る。陰では男たちが皆さう呼んだのである。それが今日も實用に供せらるゝ區域は廣い。
トリアゲババ            大和北葛城郡
トリアゲバアサン          伊勢山田
トラゲババ             近江八幡
トリアゲババ            美濃山縣郡
トヤゲババサ            三河碧海郡
トラゲバアサ            備後沼隈郡
 取上げるといふ語は、今はたゞ抱き取るといふ位の感じに用ゐられて居るが、事によると最初今少しく込入つた意味があつたのかもしれぬ。さうで無いと關東奧州に今も行はるるコトリといふ語がわからないからである。
コトリババ             常陸上野等
コトリ               福島伊達郡
 此例は消えて行かうとして居るが、尋ねるとまだ弘いらしい。足利時代には京に子取尼といふ妖婆が居て、屡※(二の字点、1-2-22)人の子を殺したので刑に遭うたといふ記録はあるが、是は今でいふなら貰ひ兒殺しの亞流で、「取る」といふ動詞には、鬼などの人を捕るやうな意味は無かつたものと思ふ。養子を取るといふのも古いことだから、トルは即ち採用、家族の一人に加へるといふだけの、例へば嫁どり聟とりの取りであらう。即ち恐らくは斯ういふ常任の役目が始まらぬ前から、子とりといふ行爲はあつたのを、後に或老女の名の上に附添へただけかと考へる。
 奧州の例を一瞥すると、意味のはつきりせぬのは津輕地方のテガクババ、之に對して外南部のテヤクババ、若くはテンニャクである。典藥かといふ説もあつたが、私は些しも成程といふ氣にならぬ。尤も是と大抵は併存して、コナサセといふ語も行はれて居た。
コナサセババ            青森縣處々
コナサセ              秋田縣處々
コナサセ              岩手縣一般
コナサセガカ            仙臺附近
 ナスとは産むこと、子をナサセる女だから意味はよく判つて居る。鳥取縣西部でウマラカシババなどといふのも、是と同樣に少し明瞭に失する位である。
 其以外の一つの方言群は九州に在つて、是のみは東北との一致が無い。
コズリババ             博多
コーヂーババ            筑後三瀦郡
コゼンボウ             佐賀地方
などの僅かの例を見ると、何とでも臆説は立てられるが比較をして見ると疑の餘地は少ない。即ち
コゼンボ、コゼンバ         肥前北高來郡
コゼンバ              同 平戸邊
コゼウバ、コゼバンバ        同 五島魚目
コウゾエバンバ           同三井樂
コゼババサン            長崎
コゾイババ             肥後球磨郡
コズヱババ、コゼンボ        鹿兒島縣
コズヱババ             宮崎縣
コズイ               豐後日田郡
の諸例が示す如く、もとは子をスヱルといふ語の、色々に變化したものである。而うしてスヱルといふことは、「手に取りすゑる」即ち把持することで、粗末な語を使ふならば、「生存の承認」であつたらうかと思ふ。
 尚二三の異例を擧げて見ると、仙臺ではコナサセの他に、ウシロガカといふ名もある。後から抱いて介抱する役であつたのである。山梨縣では一に又アラチバーサンと謂つた。或はもと子おろしの方を主たる事務としたものかと、三田村玄龍氏は言つて居らるゝが、アラチは單に産穢のことだから、之に携はる婦女といふだけであらう。但しその任務が若干宗教的であり、祈祷まじなひと關係して居たといふことならば想像に難くない。只其はつきりした痕跡が見えぬのみである。淡路の島の方言にはヲマキといふ名があつたといふが、是はどういふ意味だらうか。此點に關しては殊に島々の慣習と名稱とを調べて見る必要がある。といふのは是を專門とする職業の餘地が無くて、久しく昔ながらの仕來りに從うて居たものが多かりさうだからである。
底本:「定本柳田國男集 第十五巻」筑摩書房
   1963(昭和38)年6月25日発行
初出:「民族 三卷一號」
   1927(昭和2)年11月
入力:フクポー
校正:津村田悟
2022年9月26日作成
2022年10月31日修正
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<参考論文>

明治から昭和初期における大阪の産婆団体史:団体運営の自律性と男性医師との関わりに着目して

博士論文

阿部,奈緒美 (2019-0


以下のサイトからの転載

同窓会の歴史 | 大阪大学 助産師 同窓会

大阪大学における産婆・助産師養成年譜

西暦和暦年譜
1875年明治8年4月大阪府病院(大阪大学医学部附属病院の前身)で、蘭医エルメレンス(Christian J. Ermerins)が「産婆伝習」の講義を開始
1876年明治9年3月日本人医師・岡沢貞一郎(緒方洪庵門下生)が産婆学講義の担当を開始
1876年明治9年10月産婆学課程を修了した者175名に産婆営業鑑札を付与
1878年明治11年10月大阪府病院で正変2則に分け産婆教育を開始
1898年明治26年3月柳琢蔵が中心となり、大阪醫學校に産婆養成所を附設
1902年明治35年3月大阪醫學校附属産婆養成所を廃す
1914年大正3年4月1日府立大阪高等醫學校附属産婆養成所を開設
1915年大正4年10月28日府立大阪醫科大學附属産婆養成所に改称
1916年大正5年3月府立大阪醫科大學附属産婆養成所第1回産婆卒業生8名が卒業
1919年大正8年大阪醫科大學病院附属産婆養成所に改称
1924年大正13年10月大阪醫科大學醫院附属産婆養成所に改称
1927年昭和2年8月4日大阪醫科大學醫院附属産婆養成所の定員20名を50名に変更
1931年昭和6年5月大阪帝國大學創設に伴い、大阪帝國大學醫學部附属醫院附属産婆養成所と改称
1947年昭和22年10月大阪大學醫學部附属助産婦養成所と改称

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