女性看病人から有志共立東京病院看護婦教育所、京都看病婦学校、 桜井女学校看護婦養成所へ至る道
要点:「女性看病人」に関するメモ
横浜軍陣病院の「女性看病人」は「女性の看護者を雇用した日本最初の職業看護婦」
壬生城養生局の、戊辰戦争期における女性看病人は「銃創看病人」として直接に負傷者などの看護業務を担当。 ⇒→ 「銃創看病人」的役割を担う、近代看護の原型
会津藩・山国隊においては、「看護」と「洗濯・炊事」業務は明確に区別し、看護はその専門業務を担当。
● 第1層:直接看護(女性看病人)
- 清拭・体位変換
- 食事介助
- 排泄介助
- 創傷の観察
- 包帯交換の補助
- 発熱・感染症患者の隔離補助
- 夜間の付き添い
● 第2層:診療補助(医師助手・若い藩士・雑役男)
- 患者搬送
- 麻酔・手術準備の補助
- 医療器具の洗浄
- 血液・排泄物の処理
→ ウィリスの外科手術を支える技術的サポート
◆ ウィリス医療チームの階層モデル
- ● 1. 指揮層(医療・行政)
- ウィリアム・ウィリス(病院長)
- 外科手術
- 麻酔使用
- 医療方針の決定
- 女性看病人の採用
2,看護層(女性看病人)
直接看護(前述の通り)
患者観察
夜間看護
→ ウィリスの医療哲学(清潔・観察・衛生)を体現した層
◆ 年表(1868–1890)
● 1868(慶応4/明治元)
- 横浜軍陣病院開設(修文館・太田陣屋)
- 女性看病人を正式雇用(日本初の職業看護婦)
- 戊辰戦争各地で女性「銃創看病人」が活動(壬生城養生局)
● 1873(明治6)
- 横浜軍陣病院
→ 十全医院へ移管
● 1877(明治10)
- 博愛社(日本赤十字社の前身)創設
- 看護の制度化が始まる
-
● 1885–1886(明治18–19)
- 有志共立東京病院看護婦教育所(慈恵)
- 京都看病婦学校
- 桜井女学校看護婦養成所
- → 本格的な看護教育が制度化
<参考資料①>
サ ー ・ヒュ ー ・コータッツィ (元駐日英大使)「近代日本における西洋医学の偉大な貢献者 英医 ウィリアム・ウィリス 」『鹿児島大学医学雑誌』 第47巻 補冊17~11頁
Med J Kagoshima
Univ,
Vol.47,
Supplement
平成7年8月
1.
7 — 11, August,
1995
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