(その9)『GHQ/SCAP Public Health and Welfare Weekly Bulletin 看護関係・校訂訳』作成者:T・M&T・Y

 『GHQ/SCAP Public Health and Welfare Weekly Bulletin

No.9 1945年12月上旬

SECTION IV — NURSING AFFAIRS

Reports from Japanese

No.9は、No.8で「開催予定」とされた12月4日の公衆衛生看護婦協会会合が実際に開催されたことを記録しており、さらに助産婦試験、結核療養所の看護教育、保健婦試験まで含みます。短いながら、占領初期の看護政策を考えるうえで密度の高い史料

【英語原文】

SECTION IV
NURSING AFFAIRS

Reports from Japanese

  1. Copy of questions given in practical examination to 19 midwives in Tokyo, To, 26 November 1945 was received from the Japanese, the examination being in two parts giving 5 point: for questions on the model and 5 points for examination of pregnant mother [判読困難] patient.

The questions pertaining to the model were as follows:

“Five minutes to make internal examination to determine: condition of the baby, stage of delivery, position of baby, length of the cord, length of the baby, length of the baby's head.”

Among other questioned an important one is to name the instruments on the table.

  1. Applicants names, ages, prefectures and schools attended received.

  2. Public Health Nurses Association. A list of the delegates names and prefectures were given with program. On December 4th an all-day meeting was held in Tokyo, To by the Public Health Nurses. Discussion of dues magazine, constitution and by-laws was held and a letter was composed and sent to the Ministry of Health asking permission to carry on the association without the interference of non-nursing personal.

  3. A report from Nakano-ku Sanatorium for Tuberculosis. Copy of training school curriculum, regulations and routine of nurses and salary paid to nurses.

  4. Report of names, address, ages and schools of nurses taking Public Health Nurses examination in Tokyo, To. Weekly Bulletin PH and welfare …

【日本語改訂訳】

第IV部 看護関係

日本側からの報告

1.1945年11月26日、東京都において19名の助産婦を対象として実施された実技試験の問題の写しが、日本側から提出された。

試験は二つの部分からなり、模型を用いた問題に5点、妊婦〔以下一部判読困難〕の診察に5点が配点されていた。

模型に関する問題は、次のようなものであった。

「5分間で内診を行い、胎児の状態、分娩の進行段階、胎児の位置、臍帯の長さ、胎児の身長、胎児の頭部の長さを判定すること。」

その他の問題のなかでは、机上に置かれている器具の名称を答えることが重要な問題の一つであった。

2.受験志願者の氏名、年齢、出身府県および出身学校についての資料を受領した。

3.公衆衛生看護婦協会(Public Health Nurses Association)について。

代表者の氏名および出身府県の一覧が、会合のプログラムとともに提出された。

12月4日、公衆衛生看護婦による終日の会合が東京都で開催された。

会合では、**会費、機関誌、会則(constitution)および細則(by-laws)**について討議が行われた。

さらに書簡が作成され、厚生省に送付された。

その書簡では、

「看護職以外の者(non-nursing personnel)の干渉を受けることなく、自分たち自身の看護職団体を運営することを認めてほしい」

と要請していた。

4.東京都中野区の結核療養所から報告が提出された。

その内容には、看護婦養成学校のカリキュラム、諸規則、看護婦の日常勤務(routine)、および看護婦に支払われる給与の写しが含まれていた。

5.東京都で公衆衛生看護婦試験を受験する看護婦について、氏名、住所、年齢および出身学校を記載した報告が提出された。 Weekly Bulletin PH and welfare …

【校訂注】

 第1項は、原文そのものに文法上の乱れや判読不能部分があるものの、文意は把握できる。その核心的情報は、GHQ看護課が日本の助産婦資格試験について、受験者数だけでなく実際の試験問題そのものを収集していたことである。当然ながら、その出題分析をしていたと推定すべきであろう、むしろしなかったと推定することに無理があろう。

 ここでもNo.7と同じ方法論を認める。制度の名称だけを調査するのではなく、「実際に何を試験しているのか」まで降りて調べる。これは後の免許制度・教育内容の再編を考える際の、スタート点にたったと言えよう。

第3項の、

without the interference of non-nursing personnel

は、No.9最大の注目箇所である。直訳すれば「非看護職員の干渉なしに」ですが、史料的意味を明確にするため、ここでは「看護職以外の者の干渉を受けることなく」としたのも、医師との関係性に疑問を抱いていたオルト少佐には譲れない一線があったからである。

 これは単なる医療事務上の独立を意味するとは限らない。誰を具体的に non-nursing personnel と想定していたのか――医師なのか、行政官なのか、既存団体の役員なのか――については、このWeekly Bulletinだけでは断定できない。ここでは、一足飛びに「医師からの独立」とまで訳し込まないつもりである。

 なお、第4項の routine of nurses も、ここでは勤務時間・業務内容・日常的な勤務体制・規程まで含む可能性を考え、「看護婦の日常勤務」と訳出した。

【研究上の意味】

 No.9は、これまでの史料群の中でも、「看護職の専門職化」という観点から大変に重要な週報である。

1.No.8からNo.9への連続――「計画」から「実行」へ

No.8では、12月4日にPublic Health Nurses Associationの会合を開催するため、

 代表者への通知 → 出席確認 → プログラム作成 → 法律上の助言 → 通訳手配

までを、GHQ看護課は準備した。No.9では、その会合は実際に終日開催された。

しかも議題は、

  会費・機関誌・会則・細則

である。たんなる親睦団体の設立を目的とするのではなく、GHQ看護課の指導は会員制度、財政、情報発信、組織規範を備えた近代的な専門職団体(professional association)設立計画の立案へと向かっていたが読み取りたい。

2.「non-nursing personnelの干渉なしに」という一文

ここで注目すべきは、厚生省への「申し入れ」=GHQからの要請。

without the interference of non-nursing personnel

この一文には、戦後看護改革の理念を考えるうえで非常に重要な文言が凝縮されている。

つまり看護婦自身が、

「看護の専門的事項について、看護職自身が意思決定する組織を持つ」

ことはオルト少佐には、彼女の看護政策の一丁目一番であった。これは、看護を医師・病院・行政の補助的職種として位置づける従来の構造から、独立した専門職としての看護(professional nursing)へ移行する動きとして読むことができる、またそう読まなくてはならない。、今後議論の俎上に取り上げたいGrace E. Alt の思想と経歴が研究上の作業仮説として意味を持ってくる。ただし現段階では、

「これはオルトが日本人看護婦に要求させた」

とは書くことはできない。史料が直接示しているのは、日本人公衆衛生看護婦自身が書簡を作成し、厚生省へ提出したという事実である。したがって研究上は、

オルトらGHQ看護課による専門職化理念
+
日本人看護婦側の自律化要求

という双方の相互作用として捉える。

3.教育・試験・勤務・給与を一体として把握

No.9のもう一つの特徴は、GHQ看護課が非常に具体的な資料を収集していることである。

①助産婦については実際の実技試験問題、

②公衆衛生看護婦については受験者の氏名・年齢・出身校、

③結核療養所についてはカリキュラム・規則・勤務・給与。

つまり調査対象は、

教育 → 試験 → 資格 → 就業 → 勤務条件 → 給与

まで拡大している。この点はNo.7で確認した「看護学校質問票」と同じ発想である。注目すべきは、GHQ看護課は、単に新しいカリキュラムを作ろうとしていたのではなく、看護職というprofessionを成立させる制度全体を把握し、再構築しようとしていたと考えていたことである。

ちなみに、GHQの各種報告では、“Tuberculosis is the most serious public health problem in Japan.”の文が頻回に出現する。確かに結核患者数の正確な統計は戦災で消失しており、1944–46年の人口動態統計は欠落しているので (渡部幹夫『第二次世界大戦期の日本の結核問題』、その実数は不明であるものの、GHQ推定値として結核患者総数:100万〜150万人規模(推計)が報告されており、GHQ/PHWの感染症統計(Communicable Disease Control & Reporting)では、1945年10月以降、結核を最優先監視対象に設定している。事実、戦前の療養所数と戦後の再建計画は。1939年以降、軍事保護院数が 36か所・28,700床 の軍人結核療養所を開設され、民間・公立の既存サナトリウム(数は未詳)が戦災で一部破壊されつつも存続していた。そこで、GHQ看護課が直面したのは、軍療養所+民間・公立サナトリウムを合わせて、敗戦直後、日本全国に残された約80〜90の施設であった。「不治の病」(当時)と言われた結核患者が少なくとも100万人規模に達していたからである。その対策は急務であった。

4.No.7~No.9から見えてきた政策形成の構造

これら一連の報告を読むと、かなり鮮明な構図が浮かび上がる。

No.7
朝鮮――看護学校の全面的実態調査、6週間の公衆衛生看護再教育。

↓

No.8
日本――既存カリキュラム、栄養・生活条件の調査、公衆衛生看護婦協会設立の準備。

↓

No.9
日本――助産婦試験問題の収集、看護教育・勤務・給与の調査、そして看護職自身による自律的職能団体形成の具体化。

したがって、No.7~9から理解されるのは、

「実態調査 → 教育内容の把握 → 資格・試験の把握 → 勤務条件の把握 → 再教育 → 専門職団体の形成」

というGHQ看護課がデザインする改革案である。要するに、GHQ看護改革が単なる「アメリカ式看護教育の導入」ではなく、看護職を一つの自律的専門職として制度化していく過程として再構成すると考える、我々の作業仮説提唱の基盤でもある。。

そして実際、次週の記録では、12月4日の会合後に、厚生省へ送った書簡の写しと、Public Health Nurses Associationの改訂されたConstitution and By-LawsがGHQ側へ提出されたことまで確認できる。つまり、この流れはNo.10へそのまま引き継がれている。 

【分類】

7-2 看護教育・カリキュラム
――結核療養所看護婦養成学校の教育課程

7-3 看護職能団体
――Public Health Nurses Association、会費・機関誌・会則・細則、厚生省への自律化要求

7-4 看護職資格・試験制度
――助産婦実技試験、公衆衛生看護婦試験

7-5 公衆衛生看護婦
――公衆衛生看護婦の組織化と資格制度

7-6 看護関係実態調査・統計
――受験者の氏名・年齢・出身府県・出身校等の個別情報収集

7-7 看護婦の勤務・労働条件
――結核療養所における勤務規程・日常勤務・給与


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