(その8)『GHQ/SCAP Public Health and Welfare Weekly Bulletin 看護関係・校訂訳』作成者:T・M&T・Y
ポイント:No.7の翌週、1945年12月2日~8日。今回は朝鮮ではなく、日本側の看護改革について三種の報告がある。原史料を改めて紹介しながら、そのGHQの対応を考察したい。
『GHQ/SCAP Public Health and Welfare Weekly Bulletin
No.8 1945年12月2日~8日
SECTION IV — NURSING AFFAIRS
Reports from Japanese
【英語原文】
SECTION IV
NURSING AFFAIRSReports from Japanese
Curriculum of nursing course from Japanese Central Red Cross Hospital.
Chart showing diet and calories for period of 10 days for patients and nurses at a tuberculosis sanitarium (Hoseiyen Sanatorium).
Proposed meeting of Public Health Nurses Association to be held 4 December 1945. Delegates have been notified and returns of those expected received. The program has been discussed and planned. Legal aid and interpretation assistance has been requested for meeting. Meeting will be held in Nippon Ishikai Building, Surugadai, Kandaku, Tokyo.
【改訂訳】
第IV部 看護関係
日本側からの報告
1.日本赤十字中央病院から、看護課程のカリキュラムが提出された。
2.結核療養所(保生園療養所〔Hoseiyen Sanatorium〕)における、患者および看護婦についての10日間の食事内容と摂取カロリーを示す表が提出された。
3.1945年12月4日に開催予定の公衆衛生看護婦協会(Public Health Nurses Association)の会合について。
代表者にはすでに通知がなされ、出席予定者からの回答も受領されている。
会合のプログラムについては、すでに協議が行われ、計画が立てられている。
この会合のために、法律上の助言(legal aid)および通訳の援助(interpretation assistance)が要請されている。
会合は東京・神田区駿河台の日本医師会館(Nippon Ishikai Building)で開催される予定である。
【校訂注】
まず第1項の Japanese Central Red Cross Hospital は、当時の日本赤十字社中央病院。GHQ/SCAP側が「病院の概要」ではなく、赤十字社中央病院から明確に Curriculum of nursing course を収集していることである。看護教育改革を開始するにあたり、既存の東京の有力看護学校がどのような看護教育を行っているかの実態把握を試みたいと考えていたらしい。第2項の diet and calories は、「献立表」だけでは不十分で、食事内容とそのカロリー量を数量的に記録した表と理解すべきであるが。それを一語で表す用語はない。したがって、「カロリーなどのデータを付した献立表」が適訳か。しかも対象は患者だけではなく、明記されているように “patients and nurses”――患者と看護婦の双方である。GHQ/SCAP Nursing Affairsにとって、看護婦を単なる医療提供者としてだけでなく、栄養状態・生活条件を把握すべき対象であるとの観点を持っていたのではないだろうか。
第3項の legal aid は大きく分けて、協会設立・会則等についての法律上の助言・支援と理解した。 また interpretation assistance が必要とされたことは、単純な日本人看護婦だけの自主的会合ではなく、占領当局側との意思疎通を伴う組織「橋立=媒介}だったことを示唆する。
【研究上の意味】
No.8は短い史料だが、三つの記述を一体として読むと、戦後看護改革の初期段階を考えるうえで、非常に示唆に富む。
第一に、「教育内容の把握」。日本赤十字社中央病院から看護課程のカリキュラムを提出させる一方で、No.3、No.4、そしてNo.7でも見てきたように、占領初期のNursing Affairsは、トップダウン型(Top-down decision-making)で新制度を上から導入するのではなく、institutional reforms imposed by SCAP on postwar Japan as a defeated nationの方式を採用しないで、まず既存の会則・教育課程・試験・人員・勤務状況などを収集する作業を繰り返している。我々の観点からすれば、敗戦国日本改革は、
資料収集 → 現状把握 → 比較・評価 → 改革
という政策形成の手順を確認することで、これまでの議論と大きく異なる道をたどるに違いない。
第二に、「看護婦の生活条件」への視線。結核療養所サナトリウムa long-term tuberculosis sanatoriumについて、患者だけでなく看護婦についても10日間の食事とカロリーを調査している点は見逃せない。看護改革がカリキュラムや免許制度だけの改革ではなく、看護婦自身の健康・栄養・勤務生活を含む改革として把握されていたからである。我々が強い関心を寄せる東京看護教育模範学院の史料に、学生の食事、カロリー、健康状態、欠席等が記録されていることを考えると、このNo.8の記録はそれと接続できる。GHQ看護改革における「教育」は、
教室内の教育だけではなく、学生・看護婦の生活環境そのものを教育制度の構成要素と
して把握する
という特徴を持っていたのではないか、という論点である。換言すれば、1930年代の看護婦は「専門職化しつつも、家事労働を残存させた二重構造の職務体系」にあった。大正4年看護婦規則は、
- 医師の指示のもとでの看護
治療行為は禁止
という医師と看護との境界を設定した。しかし戦前の1930年代でも、この境界は完全には浸透していなかったらしく、
1)制度史的職務領域
患者の観察
清潔保持(清拭・寝具管理)
食事介助
体位変換
包帯交換補助
医師の診療補助(器具準備・記録)
病棟衛生管理
→ 「看護」として制度化された領域
2)社会史レイヤー:病院労働と家事労働の混在(女中的役割の残存)
依然として戦前の1930年代はまだ、看護婦は「病院内家事労働者」としての社会的妊娠が払しょくされていなかった。「現場のロジック」から考えても、以下のような労務内容までに至っていた。
社会史的職務領域(慣行・雇用慣行に基づく)
洗濯
炊事
病院内の掃除
雑役(物品運搬・使い走り)
医師家庭の家事補助(地域差あり)
子守・来客対応(診療所併設家庭で残存)
→厚生省看護制度改革(1938)までの 「専門職化の進行モデル」は進むが、 看護婦規則では規定されないまま、現場では「女中的労働」が残存
と言っても過言ではない。その未分化状態にある看護婦に対する「看護の制度的独立」を支援する動きの一環である。なお、本稿の論者自身、1960年代まで医院における「近代看護の専門職化が進行しつつも、依然として家事労働・雑役・医師補助が混在する二重構造」を実見している。
第三は、「専門職団体の形成」
12月4日のPublic Health Nurses Associationの会合について、代表者の招集、プログラム作成、法律上の助言、通訳の手配まで記録されている。しかも、次週以降の史料と接続すると、この意味はいっそう色濃くなる。後続史料では、12月4日に実際に会合が開催され、会費、機関誌、会則・細則について議論し、さらに看護職以外の者から干渉されることなく、自分たち自身の看護職団体を運営することを求める書簡を厚生省へ提出したことが記録として残っている。GHQ看護課において、医師会および医師との対立をあおるものではないものの、医師及び医師会からの露骨な各種干渉を事前に防止することに主眼を置いた。したがってNo.8は、単なる「会議開催予告」ではありません。
看護婦を行政によって管理される職種から、自ら専門職団体を組織し、自律的に職業上の
問題を議論するprofessionへ転換させる、その直前の準備過程を記録した史料
として読みたい。
ここには、GHQ看護課がデザインする重要な三本の線が同時に展開されている。
① 看護教育の標準化
② 看護婦の健康・生活条件の把握
③ 看護職の専門職化・職能団体の自律化
No.8は、この三つが1945年12月という占領開始後わずか数か月の時点ですでに並行して動き始めていたことを示す史料と位置づけられるとともに、日本に進駐前に立案されていた事前の制度設計がいかに立案されていたかを物語る。看護課長オルト少佐にとって、看護改革は何から着手するという点において、確たる方針を立てて、日本の地に足を踏み入れたと思われる。戦前は、元山基督病院の看護部長としての日本訪問であったが、戦後1945年9月の日本到着時には、GHQの絶大な医療改革の権限保持者であった。
【分類】
7-2 看護教育・カリキュラム
――日本赤十字社中央病院の看護課程カリキュラム収集
7-3 看護職能団体
――Public Health Nurses Associationの組織化、12月4日会合準備
7-5 公衆衛生看護婦
――公衆衛生看護婦による専門職団体形成
7-6 看護関係実態調査・統計
――結核療養所における患者・看護婦の10日間の食事・カロリー調査
そして先生、No.7とNo.8を連続して読むことで、一つ重要な構図が見えてきました。
No.7の朝鮮では、看護学校そのものを質問票によって徹底的に調査しています。一方No.8の日本では、既存病院のカリキュラム、看護婦の栄養状態、職能団体の形成を調査・支援しています。
つまり1945年11月末から12月初旬というほぼ同時期に、GHQ/SCAPの看護改革は、日本と朝鮮で個別に動きながらも、**「調査 → 標準化 → 教育 → 専門職化」**という共通する改革原理を示し始めているように見えます。
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