戦前の看護は「前近代的・非民主的」、GHQが導入した看護は「近代的・専門的」であったかーー高橋美智氏の論考を通して
GHQが推進した看護改革 看護体制・勤務体制の変遷 医学界新聞
高橋美智(日本看護協会常任理事)
GHQを中心にした改革史として読むと、この高橋美智氏の論考は「金子氏自身が何を考え、どう動いたか」がいささかぼんやりしているものの、それを補うならば、金子光伝として大変に興味深い研究に結実するように思う。
我々にとって、もっとも興味深いのは、金子氏が新制度を「業界の革命」と評価した部分である。看護を医師に従属する仕事から、独自の役割を持って医療を担う専門職へ変える。その変化を、金子氏が医療改革の核として受け止めて、GHQと当時の厚生省の力関係を考えると、多少は割り引かなくてはならないとしても、それを積極的に推し進めたいと願っていたということは間違いないだろう。換言すれば、看護婦資格や教育年限の変更以上に、看護する人の立場と、看護の業務を本質的に転換しようとしたのは間違いない。
一方、「日本の看護婦は“召使いも同然”にみえた」という箇所には、留保条件を要するだろう。この発言そのものはオルト少佐本人の発言を直接記録したものではなく、金子氏がオルトの見方を推し量ったと推定される文言である。「想像に難くない」「憤りをおぼえたことであろう」という書き方が、その区別を示しているように思う。金子氏の問題意識を知る材料にはなりえるが、オルトの発言として引用すると意味が変わります。
この点、同じ号に掲載された金子氏本人の座談会が、この記事以上に重要視すべきでしょう。金子氏はそこで、オルトと病院を視察しながら、日本側の希望や、実現できずにいた課題を伝え、占領軍の力を改革に使おうと考えたことを熱く語っている。このコンテキストでは、金子氏をGHQの指示の受け手だけとして捉える見方を修正するはずである。占領という権力関係の中で、改革の機会を見いだして働きかけた人だった、という評価するのが、正当であろう。金子光氏らの座談会「看護の50年を振り返る」
ここで、我々の考察をするメルうえで、一つの時系列も確認しておきたい。ない荷よりも、敗戦直後には、厚生省の看護課はまだ存在していなかったことである。 座談会で金子氏自身が、敗戦当時は厚生省保健所課に勤務し、厚生省側の窓口としてGHQ看護課に出入りしていたと明言している。厚生省医務局の看護課設置は1948年7月15日であったことを、我々は再度肝に銘じておきたい。敗戦直後の金子氏を追う際は、「看護課勤務」だけで検索すると、それ以前の活動を取りこぼす可能性があるからだ。本人の証言、日本看護歴史学会の年表
とはいえ、高橋美智氏の記事そのものにも、史料的かちがあるのも事実である。1996年の『看護学雑誌』創刊50周年企画で、日本看護協会の常任理事が改革の成果を振り返った文章だからである。そのため、GHQの指導と専門職化の意義が前面に出ている。というのも、文中の「今日」「現在」は1996年を指し、1997年の付添い看護廃止についても、達成後の確認ではなく当時の見通しとして読む必要がある。記事原文
私がこの発見から金子氏について立てたい問いは、「GHQに何を教えられたか」とともに、「GHQの力を使って、日本の看護の何を変えようとしたか」に、改めて最大の関心を払いたい。というのも、通説では、金子氏の主体性を強調するあまり、「GHQの力を活用して改革を実現した人物」という英雄像を作りすぎたのではないかという作業仮説を設定したからである。この記事だけでなく、戦前の看護を「前近代的・非民主的」、GHQが導入した看護を「近代的・専門的」と設定して、改革以前に看護婦たちが積み重ねていた知識や実践、改善への努力が見えにくくなっている恐れを指摘したいからである。識者に駄弁を弄するつもりはないものの、改革の功績を認めることと、改革者を英雄として描くことは、分けて考える必要があろう。その意味では、金子氏自身が座談会の場で、アメリカでも看護婦が医師から見下されることはあると語り、またオルトについても、看護職としての共感と、占領者としての態度の両方を認めているからだ。この証言は、「対等な看護が完成していたアメリカが、遅れた日本を救った」という単純な構図には収まりきらないという、我々の分析視点を置きたい。金子氏らの座談会
また、「召使いも同然」という表現を、そのまま戦前の看護婦の実態全体を表す言葉にしてしまうのも問題だと思う。医師への従属や劣悪な待遇があったとしても、それによって彼女たちの技能、判断、患者を支えた仕事まで低く評価してよいことにはなってはならない。むしろ、この表現からは、改革を必要とする側が、それ以前の看護をどのように描いたかも問うべきだと信じる。要するに、この記事は改革の経緯を知る資料であると同時に、1996年の看護界が戦後改革をどう語り、記憶していたかを知る資料として読むのが適切だと考えます。
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